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タイトル :悠久の大義
配信日時 :2023/08/18(金) 23:00

本文:

Midnight Express 「真夜中の野生」


釣りとは直接関係ない話。抽象的には深く関わる話。
釣りしか興味ない人は読まないでください。

解除
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「悠久の大義」



私は、軍人の子であるから、

この季節、この日々には特別の感慨を有します。


先日、

靖国に行った。

市ヶ谷から歩いたが、汗が吹き出るほど暑い日だった。


けやきやくすのきの大木、イチョウ、桜、

樹木に覆われた神社である靖国神社は、

重奏な蝉の鳴き声で、空が割れるほどだった。



零戦を観、血染められた日の丸を観、

回天を観、桜花を観、

英霊の遺書を観、

何冊かの本を買い靖国を後にした。


神社から離れると、蝉の声はすっかり無くなっていた。




昔、私が成人を迎えた頃、

当時の仲間に、酒の席で勢い余りこう言ったことがある。


「俺は、父親に、

お前行って来い

と言われたら、

そこに何の言葉も必要ない。」

と。



周りは、意味も分からずただポカンとしていた。


私は父親とそういう関係であったことに、

今でも大いなる矜持を感じる。


心底では、

このことが、生きる上での礎であったと思う。




生命を持て余すかのように、

生き急いだ父親。


マムシに噛まれ、死にそうになり、

割れたビール瓶を裸足で踏みつけ、血だらけになり、

ヤクザと闘争し、刺され死にそうになり、

富士の演習で、心臓病でぶっ倒れ、

三島の自決に、魂を震わせていた。



どう生命を使えばいいのか?

この難問に答えが出ずに、ただ生き長らえるだけの生。

現代びと。



生命を超えたものの為に、生命を使う。


時が違えば、

迷いなく先陣を切ったであろう父親。

そういう気質しかなかった。



どう生きればいいかすら、まったく定まらず、

生ける屍として悪臭を放ち生きることが、

すなわち、生きるということなのか?



学徒出陣し、

悠久の大義の元に殉死した英霊を、

半ば、斜に観ながら道楽を貪る現代びと。



このような行為を美化してはならない、

と言うもっともらしい声もある。


しかし、

美化も何も、ただただ美しく崇高な精神を感じる時、

私は、遥か遠い憧れを抱くのである。




フランスの作家であり政治家の、

アンドレ・マルローはこう述べている。


「日本は何ものにも変え難いものを得た。

彼らに権威欲とか名誉欲などはかけらもなかった。

祖国を憂える尊い熱情と、代償を求めない純粋な行為、

そこにこそ、真の偉大さがある。」



果たして、

我々はどこまで、

欲を捨て純粋な行為に及ぶことができているだろうか。


皆無かもしれない。

いや、皆無である。



また、作家の北影雄幸は、


「日本の武士道というのは、

思想というよりも明らかに倫理であり、

さらに踏み込めば、倫理というよりも濃厚に美学である。

壮烈な自爆行為が日本独特の武士道美学の極北の到達点であることを、

マルローは、思想家としての独自の嗅覚から感得していた。」

と、述べている。



「武士道美学の極北の到達点」

凄まじい美学である。





「生きて神州の防人となり、死して護国の鬼とならん。」 

和多山儀平  海軍航空隊 享年21歳

熊本高等工業学校から学徒出陣




「いざ往かむ、人界の俗塵を振り払い、悠久に輝く大義の天地へ。」

石川誠三  海軍兵学校72期 享年21歳

回天特別攻撃隊金剛隊




「神州の尊、神州の美、我今疑わず。莞爾としてゆく。万歳。」

黒木博司 海軍機関学校第51期 享年22歳

人間魚雷回天創始者




「咲いて散るのが桜の花で、散って咲くのが人の華。」

杉本徳義  乙飛17期出身 享年18歳

桜花特攻神雷部隊県部隊




どれほどの葛藤を潜り抜けたのか。

理不尽極まりなく、不条理この上ない壮絶な運命をどう受け入れたのか。



これほどの、

品格と知性を感じる文は、他に読んだことがない。


本当の品格と知性とは、

覚悟によって露わになる。



ただ、生きながらえるだけの知性もどきは、

飾り物であり、偽物である。



地位も名誉も金も、すべて棄て去ってこそ、

初めて、どう生きるかが決まる。

そういうことだ。



私は、

全てに於いて、

彼らに勝るものが見当たらない。


同じ歳の頃、

あのような言葉を、死しても書けなかっただろう。



生き恥に塗れただ生きながらえている。

死ねないから、釣りにいく。


生きることも出来ず、

死すことも出来ず、ただ川へ立つ。



同列で釣りを語るなど、

賤劣でしかないが、



しかし、

俺は、釣りで生き延びた。

釣りで、ひたすら救われてきた。


あのままだったら、今はない。

精神は破壊され、腐敗物の一つとして、

ただそこにあるだけだっただだろう。



釣りに行きたくて行っていたのではない。


釣りに行かなければ絶たれてしまう、

その最後ののぞみとして、

釣りに出向いたのである。



それは正しいことだったのか、

答えなどない。



死に場所は、どこにあるのか。

死して生きよ。

死して釣りせよ。



青年の頃の大義は、

すっかり牙を抜かれ、

泥水を染み込ませたぼろ雑巾のように生きてきた。



生き地獄に気付かないフリをして、

ただ生きながらえてきた。



反逆としての音楽を選び、

挫折すべくして挫折をし、

生ぬるい世界で、死んだ魚の目で生きてきた。



死ぬことを見つけ生きたい。

せめて。



俺にとって釣りは、

精神を鍛錬し備えること以外にはなく、

釣果などどうでもいい。



俺にとって釣りは、

死して生きる意味を刻む場である。


そこには、

虚像ではない生があるかも知れない。

そう、希求する。



生き地獄を生きる現代びとは、

虚構の楽しさをあてがわれ、

その虚しさから逃亡し続ける。



何もつかめないまま。

どこへも到達できないまま。




英霊たちと、亡霊のような我ら。


どちらに真の誇りが宿るのか。



誰もが沈黙せざるを得ない。





現代びとにとって、

悠久の大義は、



あまりにも遠い。










超低空飛行

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敵艦突入の瞬間

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