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タイトル :エサ釣りVSフライ仁義なき戦い
配信日時 :2020/02/03(月) 06:30

本文:

『価値あるものと見なされるこの世の全ての楽しみと比べてみても魚とり
これに勝るものはなし』

『説教する人、物書く人、宣誓する人、戦う人。利益の為か、娯楽の為か、
いずれにしても最後の勝利者これ魚とり』
By トーマス・ダーフィー 「釣り人の歌」
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「エサ釣りVSフライ仁義なき戦い」


大井しょうぶです。


今号は、仁義なき戦いシリーズ第2弾、(笑)

エサ釣りVSフライです。


ある釣り場の駐車場で、
カーゴルームを整理しながら時々こちらをチラチラ見ているオヤジさんがいた。

私が、釣竿にリールをセットして準備を始めると、
おもむろに私に近づき、ニコニコした顔でこう言った。

「釣り?いや~今日は釣れたよ、ほんと。
あまりデカイのはいなかったけど、数は出たね~」

「やっぱり、仕掛けの工夫と後は流し方だよ」

餌釣りの人である。

もう、誰かに釣果を自慢したくって仕方がなかったのだろう。

「ほら、雑誌にも出ている・・何だっけあの人、ゼロ何とかっていう、
ああいうやり方は、俺なんかもう何十年も前からやっているから」

「今更、雑誌で紹介するようなもんでもない」

オヤジさんは、
おもむろに仕掛けを取り出し、私に見せ解説を始めた。

「ここのラインをこれこれこうして、この間にガン玉をこうして・・・。」

「やっぱり細いほうがいいんだ、糸は。馴染むから魚の食いつきがいい」

なるほど、と思うところもあったりして、注意深く話を聞いた。

そして最後に、オヤジさんはクーラーボックスを開いて魚を見せた。
そこには、10cm前後のヤマメの稚魚が40匹ほど重なり合って横たわっていた。

私の心の声。

「稚魚じゃん、それを根こそぎ釣っちゃったのか・・」

オヤジさんは言った。

「いや、これ以上小さければ、そりゃ放すよ」

「まあ、このくらいのを天ぷらにすると美味いんだ」

悪びれる様子はない。
あくまで屈託無く、明るく話すのである。

私は思った。

慣習というものは恐ろしい。

今までがそういう釣りでやってきたんだから、
今も問題はない、ということなんだろう。

というか、
餌釣りというのは、釣って食って近所に自慢がてらおすそ分けをして、
やっと終了する釣りである。

放してしまったら、釣りが終了しないのである。

昭和の、ある意味何でもござれの良き時代であれば、
どうにか許容もできる話だろうが、もう、時代は違う。

私は思った。
こういう人たちは、悲しいかな時代に取り残されていると。
人の良さそうなオヤジさんだから、尚更始末が悪い。


また別のとある日、
焼酎の缶を片手に、バケツ放流を待つ餌釣りのおっちゃん。

「フライは釣れねえんだ、飛ばねえし」

と、酒臭い唾を飛ばしながら私に講釈してくる。

このおっちゃんも、憎めない愛嬌はあった。
だから、少し切なくもなった。

「これやるよ、毛鉤。使わないし」

くすんだ小さな毛鉤入れをくれた。



しかしながら、一方で現実はどうだろうか。

フライの人口は減り続けている。
ファッションで手をつけた人たちは、結局元の釣りに戻ったのかもしれない。
エサ釣りやルアーはまだまだ人気がある。

C&Rという苦肉の策もあまりパッとしない。
当たり前の話で、釣った魚を放したところで、いずれ死ぬ。
時間の問題だけだ。

そうでない場合もあるだろうが、大方はそうだ。

要するに、魚の都合なんてこれっぽっちも考えてなんかいない。
釣り人が楽しみたいがための口実にすぎない。

マイクロバーブというのはちょっと下品な気がするよね。

魚を逃したくないから、小さな小さな返しはつけよう。
ダメージは少ないだろうからリリースすれば魚にも良い。
しかし、人間にとってはマイクロでも、魚にとってはマイクロでもなんでもない。

往生際の悪い浅知恵とでも言いたくなる。
釣欲という欲は、大方どこへ行っても下品な本性を露わにする。

そんな罪悪感をどこかに持ちながらの趣味だから、

「また釣りなの!?」

なんて言われて反論もできない。
こそこそと、まだ暗いうちにそっと出発したりする。


だが、
漁となれば、また別の話だ。

大漁に越したことはない。
不漁では困る。すべての人間が切実にそう願う。

老若男女、もれなく全員が思うだろう。

「釣れ、釣りまくれ、獲れ、獲りまくれ」

そうでないと、食卓に魚が並ばない。
マグロが、サンマが、シャケが、うなぎが。

大漁になれば、安くもなる。

「釣れ、釣りまくれ、獲れ、獲りまくれ」

どこまでも人間というのは、身勝手であり欲望のままである。

子供の頃、
毎日、鯨が食卓を飾った。
唐揚げ、ベーコン、刺身。安かった。

今、鯨を食べるのはなかなか困難である。
白鯨のエイハブ船長が懐かしい。(←何故か思い出す)


釣り人は、醜いのか。
欲望の塊なのか。

「いや、釣り人以外が本当は欲深いんじゃないのか?」

と、逆張りもしたくなる。


釣りに楽しみが見出せない人間は、
何に楽しみを見出しているのか?

それは、何か高尚なものなのか?
果たして罪の意識に程遠いものなのか?

甚だ、疑問である。

高尚と下品さは裏表。
2つで1つのようなもの。’


酒臭い餌釣りのおじさんは、
去り際に私にこう言い残した。

「お祭りなんだ」

と。


祭りはいいものである。
魚獲りもいいものであろう。

だが、
忘れてはいけない。

我々は、
循環そのものであることを。
循環なくして生きてはいけないことを。

フライフィッシングは循環の釣りである。

せめて、美しく釣りたい。
そう、思う。




せめてね。  






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