【フライフィッシング進化論】 バックナンバー一覧

戻る

タイトル :美しい野生に対する義
配信日時 :2020/01/01(水) 06:30

本文:

『価値あるものと見なされるこの世の全ての楽しみと比べてみても魚とり
これに勝るものはなし』

『説教する人、物書く人、宣誓する人、戦う人。利益の為か、娯楽の為か、
いずれにしても最後の勝利者これ魚とり』
By トーマス・ダーフィー 「釣り人の歌」
-----------------------------------------------------------


大井しょうぶです。

明けましておめでとうございます。
今年は、「Wiseman fishing rodge」
コミュニティー構想をシェアーできるようにしたいと思っています。


■遊びの中でしか、本当の学習はできない。

子供達は、遊びの中で様々な失敗と成功を繰り返しながら学ぶ。
そして、少しずつ成長していく。

自転車を何度も転びながら覚え、
川で泳ぎ、溺れそうになり、流れの強さに震えながら自然を覚える。

とかげを捕まえ逆に噛まれ、残酷にも引裂き、
雷魚を飼っている水槽に蛙を投げ込む。

仲間たちと、イカを餌にザリガニを釣る。
そこは、秘密の場所だった。

昔、お正月は街はひっそりと静まりかえり、
遠くで遊ぶ子供達の声だけが家並みを通り抜けた。

長野の祖母は、
飼っている鶏の首を何羽も落とし、美味しい鍋を子供達に作ってくれた。
すぐ裏には、湯川が流れていた。


釣りは最高に楽しい大人の遊びである。
冒険であるし、技術を要するし、生き物との駆け引きだし、
勘と経験を総動員して流れと対峙することが出来る。

同時に深い学びの場でもある。
何故なら、そこには様々な矛盾が内在しているからである。
矛盾の中に放り出され、その存在を問われる。

欲望のはけ口でもあるだろう。
どうしようもない欲。形を変え出没を繰り返す欲。
それを叶えようと。

それは浅ましいことなのだろうか。
いや、そうではない。


結局、
やらされているものからは、何も学べない。
それは、いい大人になってからも何も変わらない。
いや、いい大人だからこそ遊びの中から学ばなければならない。

やらされている何かからは、決して感動的な体験はできない。
好奇心と欲望と、やりたくて仕方がない遊びの中からその感受性は育つ。
大の大人だからこそ、感受性を育てなければいけない。
それを忘れてはならない。
それを子供達は見ている。

押し付けられた価値観からは、何も得られない。何も生まれない。
反抗がそこに残った。
少なくとも、私はそうであった。

打ちひしがれる日々だったかも知れない。
しかし、もうそんな暇はない。

好奇心は全開であり、
探究心は日々高まり、
学びこそ、最高に楽しい娯楽であることをやっと知る。




釣りの達人とは、
もちろん釣りが上手くなければならない。
しかし、それだけではまったく不十分である。

釣れまくるその背景に、深い洞察と観察、
視点の高い思考が忍耐強く忍んでいなければならないはずだ。
そうでなければ、とても達人とは呼べないのではないか。

極端なことを言えば、
川に佇むその姿だけで達人の意味を出現させている人、露出させている人。
そういう人こそ、その領域に入っている人であろうと思う。

凡庸な私は、才幹のない私は、
打ちのめされながらも、せめてその入り口に立っていたいと願う。

それが、

「美しい野生に対する義」

でもあると、川はそう言っている気がするのだ。







私に何か聞いてみたいことがありましたら、お気軽にご連絡ください。
http://www.flyfishing-japan.com/shop/index.php?contact


フライフィッシング私的大全(もっと遠く、もっと広く!)
「Complete Angler」
http://www.flyfishing-japan.com/shop








配信解除はこちらから。
http://tinyurl.com/ygakyt9