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タイトル :人は何故釣りに行くのか?
配信日時 :2009/10/20(火) 18:00

本文:

『価値あるものと見なされるこの世の全ての楽しみと比べてみても魚とり
これに勝るものはなし』

『説教する人、物書く人、専制する人、戦う人。利益の為か、娯楽の為か、
いずれにしても最後の勝利者これ魚とり』
              By トーマス・ダーフィー 「釣り人の歌」
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■人は何故釣りに行くのか?

私のHPで、このお題のページがあります。(コラム)
自由に書き込みが出来るようになっています。


  何故釣りに行くのかって・・・。
  小難しい・・。
  別に考えた事もないし・・。


実は、発信者の私もそうそう考えません。
だって、よく分からないから・・。
それほど頭よくないし・・。

でも、私達は釣りに行く。
あの手この手で、時間を作り釣りに行く。

色んな遊びがある中で釣りを選び、
更に小難しいフライフィッシングを選んだ事実がある。



■書き込んでくれた人

そんな小難しいお題ですから、
書き込んでくれる人はいないかな?と思っていたのですが、
答えてくれた人がいます。

この人は、最近のメールでこう言ってくれています。

「掲示板を通して、共に鱒釣りを楽しんだような、不思議な感覚が今でも忘れられません。」

うれしいお言葉ですね。
ミッキーさんありがとう。


では、北の大地のミッキーさんとのやり取りを宜しければ、お読み下さい。
ダーッとでいいので、読んでみて下さい。(長いので2回に分けます)
心のひだに触れる何かがあるかもしれません。



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■人は何故釣りに行くのか



本能的なもの・・・?

* 投稿者:ミッキーフィン

はじめまして、先日メールにて連絡しましたミッキーフィンともうします。
どうぞよろしくお願いします。

小学生の頃より何らかの釣りは続けてきました。10年前よりフライフィッシングにはまり、
今では本流のスペイにはまっています。

前置きはさておき・・・。
なかなか深いお題ですね・・・。
私が思うに・・・ものの溢れる今の社会における現代人は、
お腹を満たすには店に行き好きなメニューを注文すればいい、
或いは好きな食料を購入して思いついた料理にして食べればいい。
でも、人間の狩猟本能としての「いのち」を頂いている実感に欠けるのではないか・・・と思います。

魚釣りは本来、食べるために魚を釣るハンティング。釣った魚を持ち帰って食べる。
それが魚釣りの本来の姿なのだと思います。昔の人々は、もっと釣れる手段や方法を常に模索していたでしょう。
そこから、現在の漁業へと繋がる。大量に漁獲しその魚が我が家の食卓に上がる。
では魚釣りの必要性はもうすでにないのではないか・・・
いやいや、消えることなくいまだ発展を続けている。
ならば、いまや釣りはハンティングではあるが、別の側面の必要性として
「本能を満たすものである」と言えるのではないでしょうか。

自分の家と会社の往復、日常の空気感に耐えられなくなるとお気に入りのフィールドに向かいたくなる。
その理由の一つとして挙げさせて頂きました。
みなさんはどうでしょう?


コメント

* ミッキーフィンさん、こんにちは。書き込み大変ありがとうございます。
自分で言うのも何ですが、私もこのお題に関して、一言で言い当てる言葉を捜しましたが難しいですね。
「本能」いい言葉ですよね。どんなにお腹いっぱいご飯を食べても次の日は腹ペコです。
どんなに心が満たされた瞬間があっても次の日には又、心は飢えると思うんですね。
満たしても満たしても飢え続ける。で、また満たそうと「釣りに行く」というのも、一つの理由かなと思いました。
もう一つ私の場合は、継続するワクワク感ですね。今この瞬間もそうですし
、釣行前夜は、更に何だか訳わからずワクワクします。
ワクワク感も色々理由はあると思いますが、これも本能ですよね。本能が喜んでいるというか・・。
じゃぁ、本能って何なの?という話になりますが、よく分かりません。DNAとかそういう分野の問題でしょうか。
あまり深入りする前に、お後が宜しいようで・・。^^
-- 管理人しょうぶ 2009-06-10 (水) 00:11:57


* しょうぶさん、こんばんは。 -- ミッキーフィン 2009-06-10 (水) 18:31:10
* あら?失礼しました(^^;) -- ミッキーフィン 2009-06-10 (水) 18:32:29

* あらあら?失礼しまくりですね。癖で改行しちゃうんですね(^^;)お題について難しく考えすぎましたね(^^;)
ワクワク感・・・釣行前にフライを巻いている時なんてまさにそんな感覚ですね!
「明日は一日お休み、さあ、何をやりたい?」って聞かれたら、
自分はすぐに「フライフィッシングを楽しみたい」って言うだろうな。
もちろん、フライをとりまくすべてのモノ・コトをただ純粋に楽しみたいと思っていますよー。
-- ミッキーフィン 2009-06-10 (水) 18:51:08


* ミッキーフィンさん、こんばんは。コメント欄が小さすぎて書き込みしずらいですよね。すみません。
時間を見て設定を直してみます。「深入りする前に」と書いたのは、
実は私はそういった事が一番知りたい題目だったりします。
「命を頂いている実感に欠けるのではないか」という言葉は、まさにそうだと思います。
スーパーで、肉がきれいにパックされて切り売りされていますが、魚・豚・牛・鳥を殺している訳です。
しかし、我々は殺している現場を見ることはまず無いですよね。壮絶なドラマがあると思うんですね、そこには。
その現場には確かに動物を殺すことを生業としている人たちがいる。
しかし、そういう背景を考えながら肉を買う人はおそらくいないでしょう、一般的には。
どういう思いで毎日殺し続けてるのか・・。
こういった観点を持てたのも、フライフィッシングを始めてC&Rをしながらです。
会社と家とスーパーの日常では気付かないであろう現実に、ハッと気付いて立ちすくむ事もあります。
アラスカの原生林が日本人の手によって壊滅しつつあるという現実も、フライフィッシングを通して知りました。
木を殺し続けているわけです。で、更に教育まで考えは及びます。
こういった事実を教えてくれる学校やコミュニティーが日本に存在するのかな?と疑問に思うのです。
国語や算数はその次でいいのではないかとさえ、思ってしまいます。
いきなり牛を殺す現場を見せるのは極端にせよ、釣りを通してその感覚や視野は広がるはずです。
そして、フライフィッシングは釣りの中でも創造力を鍛えてくれる要素が大変多いと感じています。
そんなこんなで取り止めもなく続いてしまいますが、まだまだ分からない事だらけです。
皆さんもどうぞ遠慮なく意見を交換してください。 -- しょうぶ


つづく。

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■自分の意見や感じている事を言うのは、実は結構勇気がいるものです。

こんな事言って、どう思われるかな?とか。
変に思われないかな?とか。
かっこつけて、言わなきゃとか・・。

でも本当はそういう何気なく感じた想いが大切なんじゃないかと思います。

まずは、想いを発信してみる。
そうしないと何も始まりません。

未熟で結構。
未完成だから面白い。

完成するまで何もしないより、何倍も価値がある。


■釣りの帰り道に思う事。

釣りの帰り道、車を運転しながらボーッと考える。

仕事の事。
家族の事。
友人の事。
親の事。


一つの楽しみが終わり、
いつもの日常に帰っていく時。


で、最終的に何を思うかって?

「今度はいつ、釣りに行こう。やっぱり釣りに行くっきゃない。」

そんなもんさ。
それでいい。


■吾妻川冬季釣り場

車で一時間かからない所に、
吾妻川冬季釣り場があります。

結構でかいレインボーを放流してくれて、
なかなかダイナミックな釣りを楽しめます。

私が知る限り、ほとんどの人はルースニングで攻めています。
ぼちぼち釣れています。

私は、タイプ3のフルシンキングをガツンと沈めてスイング&リトリーブします。
やっている人は、ほぼ見たことはありません。

黒やブラウンの特製ウエットストリーマーを使います。
(ウエットフライとストリーマーの間のようなフライ)

これがなかなかいい。
良く釣れます。

何故釣れるかですが、
一番の要因は、フライをトレースする層だと思います。

フルシンキングを川底まで沈めで、
川底を這うようにフライをトレースします。
これが、魚に対して今までにはないアプローチをします。

魚は目線より上を流れてくるものには、警戒し俊敏な判断をします。
または、興味を示さない。

しかし、魚自身より下で動くものには貪欲な反応を示す事が多いと
経験から感じます。
つまり、裏返せばそういった動きをするフライが少ないとも言えます。

ですから、下で動くフライにはスレていない訳です。

シンクティップでは駄目なんですね。
底まで届かない。
(イマージャー的に使う場合は別ですが)

宜しければ試してみて下さい。


■吾妻川冬季釣り場上流


そこには今、国全体を巻き込んで騒動になっている八ッ場ダムがあります。
連日メディアが、繰り返し報道していますよね。

石原さんや、森田さんも視察に訪れたようです。

それぞれの立場で、それぞれの言い分があるのでしょうが、
何だか不思議な感覚が私にはあります。

全ての発言が人間圏の枠の中の話です。
地球はどう思っているのか?

「もう少し、どうにかならない?」
「あなた方の物だけではないんだよ。水も川も自然も」

なんてぼやいている気がしないでもありません。

で、私はどう思うか言わせてもらえば、
既に50年以上経っている未完成なダムが
何故、いまさら治水や利水の重要性を訴えるのか?よく分かりませんね。

本当に緊急に必要なダムならば、もうとっくに出来上がっているはず。
それをだらだらと50年以上もかかっている。

「諸行無常」という言葉がありますよね。

物事は常に変化し一定ではない。
「いままでがこうだったんだから、これからもこうだ。」
という人間の変化を恐れる感情を突いた言葉だと思うのですが、

変化しましょう、と言いたいですね。

代替案が、なかなか出てこないですが、
この代替案こそが、今の社会を象徴するような気がしてなしません。

皆さんはどう思われますか。



参考サイト

八ッ場あしたの会
http://yamba-net.org/


■編集後記

でも、世の中にはダムマニアという人達もいるそうで、
それはそれで、分からなくもないんですよね。
壮大な建築物である事には変わりないですし。

今の時代、ほんと一筋縄ではいきませんね。
でもだからこそ、色んな可能性に満ち溢れています。

と、うまくまとめた所で、今回はこの辺で。

最後まで読んで頂き、感謝します。
より良きフライフィッシングを!


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フライフィッシング私的大全(もっと遠く、もっと広く!)
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